「魂を打ち込む刀錬り 刀匠・松田次泰」

 

200年もの間、不可能と言われてきた鎌倉時代の刀を21世紀に蘇らせた刀匠。

再現する上で最も大切なのは、日本古来の「精神性」を刀に打ち込むことだったと言う。

松田次泰 氏 (まつだ つぐやす)

プロフィール:1948年、北海道生まれ。北海道教育大学特設美術科卒業。長野県無形文化財高橋次平師氏に入門し、その刀匠としての腕を磨く。1981年、千葉県に鍛刀場を開設し、以降数々の名刀を制作する。新作刀展にて高松宮賞などの特賞、優秀賞、などを多く受賞し、イギリス、スウェーデンなど海外から作品展、講演会などへの招聘も多数。

2006年には新作名刀展にて高松宮記念賞を受賞。

 

 

日本固有のもの 

日常生活で、ハサミや料理包丁といった実用品としての刀物に触れる機会は多いが、日本刀というとどうだろうか。今、日本人である我々だからこそ、「日本」という名前を持つこの「日本刀」について、もう一度考えてみたい。

日本刀といえば、90年代半ば、米国サンフランシスコで私が学生だった頃、米国人日本刀研究家に呼ばれ文献の翻訳を手伝っていたことがある。「簡単な翻訳だから」と言って頼まれたのだが、その内容は刀剣の刃紋や鍔(つば)の形状の詳細から“どこどこの誰々は何々の孫弟子の弟子で”云々、といった刀匠の系譜まで多岐に渡り、海外での日本刀への関心と探求の深さに驚くと同時に、日本刀がいかに深遠な文化を持つものかを知らされたことを思い出す。

 

 

今回は、200年もの間、人々が試行錯誤をしても成し得なかった「鎌倉時代の日本刀の再現」を、この現代に達成した刀匠、松田次泰氏を千葉の鍛刀場に訪ねた。

広い敷地に佇む古民家を改築した鍛刀場。凛とした空気が佇むその場所には、神棚があり、注連縄(しめなわ)が張られている。狸の皮が使われた鞴(ふいご)は、代わりの利かない一点物である。

鋼に魂を入れ、生命力の輝く刀とする。それが刀匠の仕事。だからこそ、それは神聖な作業だ。従って、伝統的に刀鍛冶は神主の衣装をまとい、作業に没頭する。それは生命を宿す儀式、または宿ることを促す祈りの様にも見えはしないだろうか。

松田氏は、とても優しい笑顔でお仕事場に迎えて下さった。穏やかでざっくばらんなお人柄に触れる光栄に恵まれたが、インタビューを通して、氏の底知れぬ情熱に触れることとなる。

 

 

― まずは刀匠になられたいきさつをお聞かせ下さい。

松田氏:

出身地は北海道です。大学では油絵を専攻していました。当時の北海道では中々本物を見る機会がなく、改めて芸大を受け直した時、それを痛切に感じました。物を創ることを職業にしたかったので、自分の好きなもので、日本で勉強できるものとして、刀鍛冶を選びました。修行は長野県で当時人間国宝だった、宮入行平先生のところに頼みに行きました。実際には宮入先生の一番弟子だった高橋次平師のところで7年間修行しました。独立の時は、北海道には帰らず、名刀が実際に手に取って見ることが出来、なお且つ優れた鑑定家のいる東京近郊で仕事場をさがしました。それで現在は千葉に拠点を置き、仕事をしています。

鎌倉時代の日本刀の復古へ 

― 江戸時代末期の水心子正秀という人物が、鎌倉時代の刀が特別優れていると定義し、日本刀は鎌倉時代のものを目指そうという動きのきっかけとなった、「復古刀宣言」から、200年。これまで鎌倉時代のものを再現しょうと多くの刀匠がしのぎを削って来ました。松田さんはその刀同等の質の作品を復活され、その出来栄えは、遠くイギリス、スウェーデンの著名な刀剣研究家からも絶賛される程であるそうですが、どのようにそれを成し得たでしょうか?

松田氏:

まずは日本刀についてざっと説明をしましょうか。

刀は二千年の歴史があります。最初の千年間の刀は直刀といいます。平安時代中頃から刀に反りが付きます。この刀に反りが付いてからを日本刀と言います。現在、物として残っているのは、平安後期からの物で国立博物館など美術館、博物館などで見ることが出来ます。

平安末、鎌倉初期から室町時代後期までを古刀と言います。17世紀初め、江戸時代初期からを新刀と言い、そして江戸時代後期の物を新々刀と言います。明治時代から平成までの刀を現代刀と言います。

 例えば優れた美術品に対して国宝という制度があります。現在、国宝は1073点ありますが、そのうち一割強、約110点が日本刀です。その日本刀の8割から9割が鎌倉時代の作品に集中しています。

ご質問にありました様に、幕末の刀匠・水心子正秀(すいしんし まさひで)が刀は古刀期の鎌倉にかえるべし、と言う復古刀宣言をしましたが、それから現代に至るまで、およそ二百年間、刀鍛冶は、最も価値の高い鎌倉時代の刀を再現することが目標であり、仕事になってきたのです。

 ところがその鎌倉の技術は途絶えて再現は、非常に難しいのです。

私も独立してから本格的に鎌倉期の再現に取り組みました。平成四年頃、ようやく制作方法の理屈がわかりました。平成八年ぐらいに、鎌倉期の刀に近いものが出来始めました。

では、どうして再現が難しかったと言いますと、日本刀の材料は「和鉄」と言う、日本独特の「たたら」と言う製鉄方法で出来た鉄です。砂鉄を炭で還元させて作ります。このたたらは明治時代まで続きますが、大正時代初期には完全に無くなりました。明治時代から主流は今の溶鉱炉の製鉄方法に変わります。しかし日本刀だけは、和鉄でないと作れません。

この和鉄と現代の鉄は、同じ鉄なんですけれど、性質はまるで違います。詳しく話すと難しいのですが、要するに和鉄は非常に扱い難い鋼なのです。

現代の人はすぐに効率とか生産性を考えます。それは人間の都合であって、決して鉄の都合でないのです。ですから扱い難い鋼に、人間の方が合わせるのです。和鉄と言う鉄を、現代の冶金学や熱処理の理屈で理解しようとすると、うまくいかない事に気がつきました。

その和鉄の性質さえ吞み込めば、鎌倉時代の作品を再現することも可能だと気付いたのです。

今、鎌倉時代の優れた刀を見ると、大体どう言う風に作られたのかは理解できます。それで、解かったことは鎌倉時代の刀は、鉄と言う材料とか、美術性とか、いろんな意味での質の高さです。

それは、例えば運慶、快慶にみる仏像彫刻をはじめ鎌倉美術の質の高さが、当然、そのまま日本刀にも表われています。それと同時にその時代の仏師とか、刀匠等の作家の精神性の高さも感じられます。

後、自分が何年生きられるか解かりませんが、この鎌倉時代の作品を超えられるかどうかは、自信ありませんが、なんとか近づきたいと思います。

 

 

松田氏は、刀匠として、芸術家としての側面だけでなく、文化人類学者、文化研究者とも言えるだろうか、日本人の英知を地道に紐解いていった松田氏には、底知れぬ探究心と信念があったのだ。

「人間の都合ではなく鉄の都合を考える」という、自然に立ち返り日本人の精神性に近づくというアプローチこそが、科学のなし得なかったことを成し遂げる近道だったとは目から鱗である。

― 海外からの評価も高く、松田さんへ問い合わせが多くあると聞きました。今後、日本刀の日本における、そして海外における役割とは?

 

  松田氏:

最近中国製とか韓国製の日本刀が出回っています。5年前、スウェーデンに行ったとき、そこで居合いをしていたスウェーデン人が使っていた刀はタイ製でした。

日本刀は「和鉄」という日本独特の製鉄方法で出来た鉄でしか、日本刀の美しさは表現出て来ません。現代の製鉄方法で出来た鉄では刀の形は出来ても、日本刀本来の命である美しい地鉄(じがね)、美しい刃紋(はもん)は出来ません。ですから「和鉄」以外で出来たものは日本刀と言いませんので、そのへんを理解してもらう必要があると思います。

 

日本刀の持つ力 

―(日本刀と言うと、サムライが戦う時に相手を切る、というイメージを持つ人が国内外でも多いですが)日本刀は日本の歴史の中でどういう役割を持ってきたのでしょうか?

松田氏:

日本刀には、「機能性」、「美術性」、「精神性」という三つの大きな要素があります。その三つが揃って初めて優れた日本刀といいます。よく名刀と言う言葉がありますが、切れる、切れないは名刀の条件ではないのです。本来、刀は武器ですから切れるのは当たり前で、その上で美しい刀が名刀です。

 ですから特に切ると言う、使う部分だけ強調しても片手落ちだし、機能を無視した美を強調しても正しくないし、機能性と美術性を両方兼ね備えた日本刀こそが、それを見る人に対して、より高い精神性を与えるものだと思います。

 日本刀を日本刀らしく使ったのは幕末で、最近の資料によると、接近戦での戦闘でなく槍、弓矢、石での致命傷での失命の方が多かったということです。それでも刀は常に携帯し、大切にされてきました。刀の姿もその時代の戦闘様式の変化で変わってきたと教わってきました。

時に一振りの名刀が恩賞の品として領地よりも有難い、という時代もあったそうです。

確かに、日本人のDNAの中に日本刀を必要とする特別な何かがあると考えらるでしょうね。

松田さんのおっしゃる様に、日本の歴史上、戦国時代であっても、日本刀が主力の武器ではなかった。侍が腰に差した日本刀は、第二次世界大戦中、軍人の腰にもあったが、それらは、空軍機のパイロットが懐中に忍ばせていたという事実が物語る様に、「武器」とは違う意味を持っていたのだろう。

では、その「DNA」はどういったものなのだろうか?

 

 

刀は生きている 

― 最後に、三種の神器の一つである、この刀。 

少し抽象的かも知れませんが、この「神器」を作る仕事とはどのようなものでしょうか?

   松田氏:

仏教が日本に伝わるズゥーと前の日本人の宗教、神道では生命力の強いものを神としました。例えば青々とした木であるとか、大きな岩であるとか、山その物を神とし、動物で言えば蛇であるとか、そういう自然にある生き生きした生命力の強いものを敬い崇めました。それに加えて、人間が人工的に作った、生命力の強いものとして、鏡(八咫鏡・やたのかがみ)と玉(八尺瓊勾玉・やさかのまがたま)と剣(草薙の剣・やくさのするぎ)を神器としたのです。

ですから、刀を見ることで、刀の持っている生命力、生きる力を見る人に与える。

刀鍛冶はそういう刀を作らなければならないし、そういう日本刀は美しいものなのです。

日本では、娘の結婚に際し、時として親は短刀を持たせるという。それには護身用の「守り刀」としてだけではないメッセージが秘められている。嫁に出る直前、娘に対しての家人の言葉にその鍵がある。

「あなたが嫁いだ先では、そこのお家のしきたりやお姑さんとの関係の中で、辛いことが必ずあるでしょう。その様な時には、夜自室へ戻り、この短刀を抜いて御覧なさい。きっとあなたに力を授けて下さるでしょう」

これは、日本刀が、もはや護身や嫁に出した以上戻ってくることは許さず自害を促すものとして、「縁を切る」といった様な刃物としてのメタファーだけではなく、全く別の力を持っていることを意味するのである。

正に、生命力を刀から「分けて頂く」のである。

そういう刀の意味を考えた時、サンフランシスコの日本刀研究家の熱意をもう一度振り返ってみた。彼らは、刀剣の芸術的価値だけではなく、この精神性、つまり魂に近づきたかったのではなかったか―

永遠の生命力を携え得る、この日本刀という魂を。。。

―End―